ランジェリーの歴史
ランジェリーの履歴書
ふりがな |
らんじぇりー (したぎ) |
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氏 名 |
ランジェリー (下着) |
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生年月日 |
約4万年前 (約4万歳) |
*男・女 | |
現住所 |
世界中で活躍中(複数で特定できません→ちなみに産みの親はフランス) |
年
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経歴
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約4万年前 | 約4万年前にフランスのロセール洞窟で発見された板石浮彫の男子立像には、腰紐のようなものがしめられています。この発見により、人間が衣服をまとったのは約4万年前とする説が一般的です。 |
その後、古代エジプトにおいて織物技術が発明され、王が着ていたカラシリスという半透明な腰衣が下着の始まりだと言われています。この腰衣が変化してしていき、この時代の後期には、ロープ形式やペピロス形式のものがもてはやされるようになりました。そして、バストラインを強調するため、ロープのアンダーバストを美しいベルトで締める風習が生まれています。これは、バスト・ガードルそのもので、ブラジャーのはしりといえます。 |
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13世紀 | フランスでシミーズが誕生 |
14〜 15世紀 |
フランスでは婦人服のシルエットが豊かに広がったスカートが原則となり、ふっくらと見せるための工夫がなされました。現在のヒップパッドの元祖といえる「パッスル」らしきものがこの時代に考案されています。これはファンデーションとしてのバッスル効果を意図したかたちのもので、この下着の流行から見ると、下着が上着の単なる付属品ではなくなり肌を保護するという機能からも脱し、下着としての独自性とファッション性を持つようになったといえるでしょう。下着は、中世から近世へという時代の大きな曲がり角とともに変化し、飛躍的に進歩をとげたといえます。 |
19世紀 | 大きな特徴をいくつも生み出していました。1830年から約20年間は、王制復古時代のコスチュームが再登場し、このシルエットを現わすためにコルセットが盛んに用いられました。そして、このコルセットは上流階級から中流階級へと普及していきます。
また、この時代の女性の胸にはレモン・ボソムというパットの原型になる詰め物が納まっていたそうです。 |
20世紀 | 1906年にポール・ポワレが、コルセットから女性を開放し、新 しいストレートな女性服を提案しました。 実際に普及したのは第一次世界大戦後ですが、それまではフランスの女性はランジェリー(洋服の下に装着するもの全て)を幾重にも着るために、半日もかかったと言うから、効率が悪い生活を強いられていことがお分かりいただけると思います。 コルセットを止める変りに、ブラシエール(英語のブラジャー)が誕生し、20世紀初頭にランジェリー革命と言っても過言でないほどの変化が起こりました。 |
1978年頃に、タンクトップやキャミソールなどが大流行し、本格的な下着のアウター化が始まりました。 |
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21世紀 | 今後はアジア戦略に重点を置いて頑張ります。 |
「語源」 |
今では下着を意味するフランス語のlangerieが、世界語として共通に使われているが、リネンをフランス語でラン(Lin)といい、それが語源でlangerieになったと言われています。肌に優しいリネンが下着素材として愛用されたのがいきさつらしい。 装飾性のある下着をランジェリー、肌着をアンダーウェア、基礎下着をファウンデーションと区別されています。ランジェリーのアウター化は、装飾性があることで、キャミソールやタンクトップとして街着として定着しました。 |